Associated Heritages
明治政府は生野銀山を国営化し、銀の増産を図るため必要な資材等を運ぶ馬車専用道路をつくりました。
ヨーロッパの土木技術を駆使した“日本初の高速産業道路”の工事において、特に難関だったのが、大小あわせて20を超える橋の架設です。
最長は、姫路市内の薮田村から砥堀村に渡る93間(約167m)の薮田橋で、この橋は馬車道竣工に際し「生野橋」と名を改め、橋のたもとには「馬車道修築」の碑が建てられました。
発着地の生野銀山や飾磨津(現姫路港)でない地に碑が置かれたのは、ここが最も難工事だったからだと言われています。
碑には、馬車道建設を任された朝倉盛明により、その経緯や尽力した人々の名前とともに、当時の日本では未曾有の事業であったことが記されています。
「修築」としたのは、旧街道を馬車が通る最新式道路に改修する工事だったからでしょう。
現在は、周辺をミニパークとして整備し花壇などを設置しています。
シスレーが明治5年(1872)に作成した馬車道の設計図
国立公文書館蔵馬車道完成のわずか1年後にもかかわらず、そのルートが鮮明に描かれている明治10年4月発行の兵庫県全図
兵庫県立図書館蔵コワニェが築造した菊の紋章が入った、旧生野鉱山本部の正門
※昭和52年に史跡生野銀山へ移築
宿場町として栄えた屋形は、当初の馬車道ルートから外れていましたが、町がさびれることを懸念した住民から飾磨県などに嘆願書が出され、ルートに組み込まれました。
市川町屋形公民館蔵辻川界隈は馬車道の道筋でもあり、姫路藩の大庄屋をつとめた三木家の住宅(現在は保存工事中)など古い建物が点在する地域。
明治19年に郡役所として建てられた洋風建築物。神崎郡の歴史などを展示。
生野町内に残るカラミ石(カラミ石は鉱石の精錬過程で出た残渣を固めたもの)
銀の馬車道の発着点で、生野鉱山の物資を専用に扱う貨物港。馬車道に伴って造られ、レンガ製倉庫や港湾護岸が残る。